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Around Fifty Punks


人より10年遅れて生きている。
人より10年間、遊び呆けていた期間が長いから。

そして今、例えば孤立へ向かってみる。
おそらくそれは必然。
そうそう、なにもはじめてのことでもないしね。


僕が勝負をしたのは31歳のとき。場所として京都を選んだ。
結果、勝負には負けた。
それでも、けっこうおもしろかったよ。
その後も適当に生きてきた。
適当というのは、会社や人に仕えることなくという意味。
適当であってもそれなりに生きてこられた。
おそらく、これからも適当に生きて行くことはできるだろう。
けど、一度きっちり清算しなければいけないということなのかな。
それが50歳の節目(おいおい、およそ20年近くも京都に住んだことになるのか)。
僕は東京へ帰る。犠牲にせざるを得ないものは大きくとも、負けたのだから仕方がない。
もちろん、再度勝負するけどね。

俺はまた勝負する若くはないにもかかわらず。事実、老眼だ。
けど、この年になってもう一度勝負することができる、それは大きな犠牲を伴うことになるとはいえ、幸せなことだとも思う。
自らのきっかけではないところが相変わらず格好悪いところではあるが、勝負そのものは楽しくないはずがない。


今のまま、安泰していても、特におもしろいわけではない。ゆえによけいなところに深く突っ込んで、結局のところ、自分が傷ついたりする。


20年前と似てらぁ。試してみたい気持ちが勝って、東京を飛び出した。そして今も同じ。


勝負するだけの材料も多少は持ち得ている。あてにはならない勝算でも、ないよりはましだろう。
なぜこんな生き方なのか。単なる性分か、それとも後天的なものなのか。


俺、負けないだろう。
いや、またしても負けちゃうかな。